受験歳時記

[受験歳時記] 第55回「辞書」

SAPIX中学部では今年も受験体験記を親子2分冊で発行し、その一部をWebでも紹介している。体験記は、書き手にとっては自分が自分に取材した記念文集であり、読み手にとっては自分に適うエピソードを掘り起こすときの参考文集である。

[受験歳時記] 第54回「体験記」

SAPIX中学部では今年も受験体験記を親子2分冊で発行し、その一部をWebでも紹介している。体験記は、書き手にとっては自分が自分に取材した記念文集であり、読み手にとっては自分に適うエピソードを掘り起こすときの参考文集である。

[受験歳時記] 第53回「一粒の米」

ステイホーム期間中、コンビニのおにぎり1個の米粒を数えた人がいるそうで、聞けばその数え方が涙ぐましい。一粒ずつピンセットでつまんでは400字詰め原稿用紙の枡目に貼りつけていき、6枚目の用紙の途中2112粒まで達したという。

[受験歳時記] 第52回「生きた教材」

新学年最初の定期試験が近いのか、右も左も鞄を机代わりにして歴史の教科書を広げている。ほぼ車両1両分が間隔を空けて座る高校生たちの「動く歴史学習室」と化している。まだまだ真新しい教科書のようだが、そのうちページの端がめくれだし、少しずつ丸みを帯び、手に馴染み始める春である。

[受験歳時記] 第51回「過去に学ぶ」

新学年最初の定期試験が近いのか、右も左も鞄を机代わりにして歴史の教科書を広げている。ほぼ車両1両分が間隔を空けて座る高校生たちの「動く歴史学習室」と化している。まだまだ真新しい教科書のようだが、そのうちページの端がめくれだし、少しずつ丸みを帯び、手に馴染み始める春である。

[受験歳時記] 第50回「アナウンス」

JR高崎線、夜の桶川駅。電車が着くとマイクを通して人を気遣う声が流れる。「桶川〜、桶川〜」のアナウンスが、時に「お怪我は?お怪我は?」と聞こえてくるのだ。疲れた日にはとりわけ心に染みて、マスクの下から「おかげ様で今日も一日無事でしたよ」とそっと小声で返してみたくなってくる。

[受験歳時記] 第49回「くすぐり効果」

共働きで育児奮闘中の若い父親。ある日、まだ幼い子どもが風邪で微熱がある。水分補給にジュースを飲ませようとするといやいやをする。牛乳は? またもいやいや。じゃあ何がいいのと聞くと、日頃の苦労が一気に吹っ飛ぶ答えが返ってきた。小さな指をこちらに向けて「パパ」。

[受験歳時記] 第48回「ガラスの天井」

元日の朝、目が覚めたら牛がいた。胸の上に抱いたまま眠ってしまったらしく、牛のぬいぐるみがブドウの実を嵌め込んだような大きな眼で待ちくたびれたように「モー起きようよ」とせがんでいる。初日の出を拝んだ後の二度寝になるので、丑年は目覚めのいいスタートとなった。

[受験歳時記] 第47回「年の瀬」

冬空の下、堤防沿いの空き地から威勢のいい声がする。何家族かが集まって河原で餅つき大会をしているらしい。丹念に捏ね、こまめに均し、潰しては水を打ち、折り畳んではひっくり返す。次第に粒立ちを失っていくにつれ、もち米は、臼の中でつやつやと肌を光らせ始める。

[受験歳時記] 第46回「一体感」

「あっ、しまった!」 いったん、出掛けはするものの、慌ててマスクを取りに戻ることがある。漢字の世界では、内、肉、傘、齟齬(そご)の順に、1人、2人、4人、8人と倍々で密になり、「人」の字は重要な構成要素のようだが、人間世界でも人の数や距離に敏感になって、久しい。

[受験歳時記] 第45回「食欲の秋」

家に帰るなり、「お腹が空いたあ、目が回る〜」とテーブルに突っ伏したかと思うと、その後、たらふく食べ終えるや「食べ過ぎたあ、苦しい」とソファに倒れ込む。こうして子どもは、毎夕食の前と後に決まって一度ずつ「悲鳴」を上げながら大きくなっていくらしい。そして一方母親は、お釜の底を驚きの表情で覗き込みながら「まるでお相撲さんを育てているみたいね」と心嬉しく笑顔を浮かべている。

[受験歳時記] 第44回「黄色い傘」

五つの黄色い小さな傘が一列になって歩いて行く。遠くから見るとタンポポの列のようだが、ただし炎天下だ。2mの間隔を保つためらしい。雨を遮り、日差しを遮るだけでなく、この通学区域では、密接を避けるという三つ目の用途として傘が利用されているそうだ。

[受験歳時記] 第43回「体験記」

ホームドラマの1シーン。「早く起こしてって頼んだのに!」と不満顔の息子。勢いよく玄関のドアを閉めて出て行った。やがて夕方、遠足から帰ってきた息子。バスの中で歌った歌か、ハミングする声が洗面台から聞こえてくる。朝はドアを蹴立てるように出掛けたのに、すっかりご機嫌で帰ってきた。よほど遠足が楽しかったみたいだね、と母親は口元を緩ませる。

[受験歳時記] 第42回「ご褒美」

ある番組のリスナーからのお便りに、こんな話が紹介されていた。つい先日までは、毎日、いつもの時刻、いつもの電車、いつもの車両に乗っていた。すると決まって途中駅から乗ってくる、顔だけは毎日見かける人がいた。しかし、最近は自粛で週1度しか出かけないのでずっと見かけずにいた。規制が明け、久々にいつもの電車に乗ると、その日も例の人が途中駅から乗ってきて、つかつかと近づいてくるや初めて声を掛けてきた。

[受験歳時記] 第41回「父と息子」

レジ前の床に間隔を空けて張られた何本かの赤いテープ。高校生らしき男子がそれらを指差し、薄ら笑いを浮かべながら2メートル後ろの父親に言った。「これって、意味ある?」。すると父親は、しばらく息子をまっすぐ見てからこう答えた。「人間は今、見えない脅威を相手に、丸腰で立っているということを、これからも長く覚えておきなさい」。赤いテープはそれを教えている。ふざけ半分の子どもの問いに対しては、父親はきっぱり断言の人でありたい。子どもが一人前になるまでは、家庭の中の社会の先生であり続けるということなのだろう。

[受験歳時記] 第40回「母の日」

「ママ、お客さんになってー」保育園から帰った娘が、美容院ごっこをしたいと言いだした。母親はエプロンを外しながら「はいはい、お願いしますね」と窓際の椅子に腰を掛ける。「どんなスタイルにしますか」「そうね、おしゃれなのがいいわ」「はい、分かりました」と娘は嬉しそうに母親の髪をとかしはじめた。「お客さんは髪がきれいですね。後ろでまとめて長く垂らしてみますね」と言いながら、いそいそとブラッシングしている。どうやら最近、保育園での大の仲良しがポニーテールにしたのを見て、母親の髪で真似てみたいらしい。

[受験歳時記] 第39回「カメラの視点」

「厭(いや)」と「面(つら)」を重ねて書くと「靨(えくぼ)」という漢字になるが、意味と成り立ちがこれほどかけ離れている文字も珍しい。嫌いな顔がよりによって、かわいいポイント大幅アップの頬の窪みを意味するとはなんとも不思議だったが、「厭」には「押し潰す」という意味があると知り、合点がいった。可愛らしさにつられ、ふっくらしたお餅のような頬のへこみにそっと指先を触れてみることは、なるほど柔らかなほっぺたを上から押し潰すように見えなくもない。漢字で書くなら「笑窪」がいいが、いっそ、ひらがなの「えくぼ」のほうが、ホットケーキの柔らかさに、ふんわり笑顔も添えられたような指先の感覚が伝わる気もする。

[受験歳時記] 第38回「卒業」

中学校の校庭の脇道を行くと、卒業式の本番だろうか、「蛍の光」の歌声が聞こえてきた。そういえば二番の歌詞に出てくる「心のはし」を、長く「心の橋」だとばかり思っていた。正しくは「心の端」であり、互いに抱く気持ちはいっぱいでも、それら全てを伝え切るには「幸(さき)く」の一言に託すしかない、という意味らしいと知ったのは、後年かなり経ってからのことだ。別れの時の尽きぬ思いをあえて言葉に委ねれば、「お幸せに」としか言いようがないというところだろうか。

[受験歳時記] 第37回「スカーフ」

前の座席の女の子は飛行機が初めてか、しきりに辺りを見回しては、隣の母親に耳打ちし、何やらねだっている模様。気配を察した客室乗務員、しばらく中腰でその親子に話し掛けていたが、再び身を起こしたのを見て、驚いた。それまでの一点の華やかさが消えていた! 襟元を飾っていたスカーフがないのだ! どうやら自分のスカーフをほどき、女の子の首に巻いてあげたらしい。花びら模様も施されたオシャレな機内サービスだった。

[受験歳時記] 第36回「ルーティン」

空席があるのに座らず、電車のドア前に立つ若い母親。背中の赤ちゃんに何やら話しかけている。「マー」と言えばママのこと、「ンマ」だったらご飯のこと。「パー」と言えばパパのことで、「ンパ」だったらアンパンマンのこと。ほんのわずかな、たったの四語で母子の会話は成立しているようだ。

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