受験歳時記

[受験歳時記] 第43回「体験記」

ホームドラマの1シーン。「早く起こしてって頼んだのに!」と不満顔の息子。勢いよく玄関のドアを閉めて出て行った。やがて夕方、遠足から帰ってきた息子。バスの中で歌った歌か、ハミングする声が洗面台から聞こえてくる。朝はドアを蹴立てるように出掛けたのに、すっかりご機嫌で帰ってきた。よほど遠足が楽しかったみたいだね、と母親は口元を緩ませる。

[受験歳時記] 第42回「ご褒美」

ある番組のリスナーからのお便りに、こんな話が紹介されていた。つい先日までは、毎日、いつもの時刻、いつもの電車、いつもの車両に乗っていた。すると決まって途中駅から乗ってくる、顔だけは毎日見かける人がいた。しかし、最近は自粛で週1度しか出かけないのでずっと見かけずにいた。規制が明け、久々にいつもの電車に乗ると、その日も例の人が途中駅から乗ってきて、つかつかと近づいてくるや初めて声を掛けてきた。

[受験歳時記] 第41回「父と息子」

レジ前の床に間隔を空けて張られた何本かの赤いテープ。高校生らしき男子がそれらを指差し、薄ら笑いを浮かべながら2メートル後ろの父親に言った。「これって、意味ある?」。すると父親は、しばらく息子をまっすぐ見てからこう答えた。「人間は今、見えない脅威を相手に、丸腰で立っているということを、これからも長く覚えておきなさい」。赤いテープはそれを教えている。ふざけ半分の子どもの問いに対しては、父親はきっぱり断言の人でありたい。子どもが一人前になるまでは、家庭の中の社会の先生であり続けるということなのだろう。

[受験歳時記] 第40回「母の日」

「ママ、お客さんになってー」保育園から帰った娘が、美容院ごっこをしたいと言いだした。母親はエプロンを外しながら「はいはい、お願いしますね」と窓際の椅子に腰を掛ける。「どんなスタイルにしますか」「そうね、おしゃれなのがいいわ」「はい、分かりました」と娘は嬉しそうに母親の髪をとかしはじめた。「お客さんは髪がきれいですね。後ろでまとめて長く垂らしてみますね」と言いながら、いそいそとブラッシングしている。どうやら最近、保育園での大の仲良しがポニーテールにしたのを見て、母親の髪で真似てみたいらしい。

[受験歳時記] 第39回「カメラの視点」

「厭(いや)」と「面(つら)」を重ねて書くと「靨(えくぼ)」という漢字になるが、意味と成り立ちがこれほどかけ離れている文字も珍しい。嫌いな顔がよりによって、かわいいポイント大幅アップの頬の窪みを意味するとはなんとも不思議だったが、「厭」には「押し潰す」という意味があると知り、合点がいった。可愛らしさにつられ、ふっくらしたお餅のような頬のへこみにそっと指先を触れてみることは、なるほど柔らかなほっぺたを上から押し潰すように見えなくもない。漢字で書くなら「笑窪」がいいが、いっそ、ひらがなの「えくぼ」のほうが、ホットケーキの柔らかさに、ふんわり笑顔も添えられたような指先の感覚が伝わる気もする。

[受験歳時記] 第38回「卒業」

中学校の校庭の脇道を行くと、卒業式の本番だろうか、「蛍の光」の歌声が聞こえてきた。そういえば二番の歌詞に出てくる「心のはし」を、長く「心の橋」だとばかり思っていた。正しくは「心の端」であり、互いに抱く気持ちはいっぱいでも、それら全てを伝え切るには「幸(さき)く」の一言に託すしかない、という意味らしいと知ったのは、後年かなり経ってからのことだ。別れの時の尽きぬ思いをあえて言葉に委ねれば、「お幸せに」としか言いようがないというところだろうか。

[受験歳時記] 第37回「スカーフ」

前の座席の女の子は飛行機が初めてか、しきりに辺りを見回しては、隣の母親に耳打ちし、何やらねだっている模様。気配を察した客室乗務員、しばらく中腰でその親子に話し掛けていたが、再び身を起こしたのを見て、驚いた。それまでの一点の華やかさが消えていた! 襟元を飾っていたスカーフがないのだ! どうやら自分のスカーフをほどき、女の子の首に巻いてあげたらしい。花びら模様も施されたオシャレな機内サービスだった。

[受験歳時記] 第36回「ルーティン」

空席があるのに座らず、電車のドア前に立つ若い母親。背中の赤ちゃんに何やら話しかけている。「マー」と言えばママのこと、「ンマ」だったらご飯のこと。「パー」と言えばパパのことで、「ンパ」だったらアンパンマンのこと。ほんのわずかな、たったの四語で母子の会話は成立しているようだ。

[受験歳時記] 第35回「サイレント」

梢(こずえ)の先端の枝先まで色付き終えた並木道。その立体絵画のような木々の装いに母親は思わず声を上げた。「まあ、きれいな紅葉!」すると、野球帽の下から手を引かれた男の子の声がした。「ママ、こうようってなあに?」「黄色だった葉っぱが赤くなることよ」「ふ~ん」と答えてしばらくすると、今度は坊やが顔を輝かせて声を上げた。「ママ、いま、あそこの信号も紅葉したよ」

[受験歳時記] 第34回「グッドラック」

電車が止まると、黒いリクルートスーツの集団がどっと乗り込んできた。吊り革に掴まり、就活の感想をにぎやかに述べ合う学生たち。その様子を、二人の男性が口元に薄笑いを浮かべながら眺めている。

[受験歳時記] 第33回「次の人、隣の人」

前を歩いていた子が急にしゃがみこむと、母親は「汚いから触っちゃだめよ」とたしなめた。紙屑を手に立ち上がった坊やは、驚いた顔をして答えた。「でもパパとお散歩するとき、パパ、いつもこうしてるよ」

[受験歳時記] 第32回「暮らしの音」

テーブルの上のアイスコーヒー。風に押された白いストローが、グラスのふちをクルッと回った瞬間、ビュンと勢いのある音を立てた。続いて吹きつけた風を受けて、またもやビュンと威勢よく鳴った。まるで「俺はここにいるぜ」とでも主張するかのように、1本のストローが偶発的な自然音を奏でてくれる。読みかけの本の中身に、またすんなり戻っていけそうな楽しい演奏だ。

[受験歳時記] 第31回「小さな芽」

読ませるコラムには「型」がある。思わぬところから攻め入り、急所を突く「からめ手(裏門)型」、最初だけ登場し、流れを作って姿を消す「しつけ糸型」、ほんのひと口で味を伝える「ひと粒チョコ型」……。何気ない短い言葉が、ある日、じんわり効いてくる。後になって沁みてくる。いつかの図工の先生の「最初の線は消さないように」のひと言にも、「最初の小さな発見は重大な視点を含む」と絶妙な解説を加えただけで完結、その短さが含蓄なのだろう。

[受験歳時記] 第30回「マラソンゴール」

ある“お仕事ドラマ”の一場面。広告会社の若手社員、明るい性格で取引先からも可愛がられていたが、断れない愛想のよさにつけこまれ、エスカレートする無理難題を次々押し付けられてしまう。救われない気持ちで対応する姿も痛々しい。ひとまずトラブルが収まった後でも、一連のつらかった日々を思い出しては時々泣き出してしまう。そんな悔しさに震える若手社員の話を受けとめながら、肩をぽんっと叩いて励ます先輩社員の一言がよかった。「よし、次、行こう」と。

[受験歳時記] 第29回「サプライズ」

テレビ局が投票所から出てくる若者にマイクを向ける。投票率低迷のなか、こうしてきちんと選挙権を行使する若者の考えを聞いてみようということらしい。国民の権利だからとか、有権者として当然だからとかいった声が返ってくるものと思いきや、一つ聞き逃せない回答があった。「何世紀にもわたり、無数の人が血を流し、命を落としてやっと勝ち取ったのが僕らの今の選挙権なのだ、と昔から父親が言い続けていたから」と。一票の意義を歴史で語り、今という時代を生きた教材として説明できる父親は未だ健在らしい。

[受験歳時記] 第28回「柏餅」

4人がけのボックス型の電車内、いきなり背の高い男性が立ち上がった。見ると家族旅行らしく、同じく立ち上がりかけた奥方を制しながら、1人の老婦人に席を譲ろうとしている。席を譲られ大層恐縮がって座った老婦人は、おもむろに手にしたバッグから紙包みを取り出して、目の前に座っていたこの外国人夫婦の10歳ぐらいの双子の男の子に、どうぞと勧めている。手のひらに一つずつのせられたのは、しんなりとみずみずしい葉にくるまれた柏餅。電車に乗る直前、たまたま駅の構内で10円引きの314円で売られていたのを見つけ、つい買ってしまったらしい。

[受験歳時記] 第27回「コデマリの花」

食事のときはいつも、ほんの少ししか牛乳に口をつけない女の子。その様子を見かねた母親、一計を案じ、娘愛用のガラスのコップの底に外側から花びらのシールを貼りつけてみたそうです。牛乳を入れると隠れて見えませんが、少しずつ飲んでいくと、傾けたコップの底から白い鈴なりのコデマリの花々がだんだんと数を増してくる。飲むほどに鈴の音がにぎやかに鳴り響いてくるようで、心楽しいお食事タイムに、女の子は牛乳のおかわりをするまでになったといいます。

[受験歳時記] 第26回「ボールゲーム」

お醤油が塩味を加えながら具材のうま味を引き出しています。コンロにかけた鍋の中、グツグツ煮える肉ジャガは、角をぽろぽろ丸く崩しながらほっこりしたおいしさをのぞかせています。くし形に切られた玉ねぎと銀杏切りされた人参の間から、さやいんげんの煮汁のからんだ緑色が見えています。塾から、学校から、試験場から帰ってくるや否や、玄関で「お腹、すいたあ」と叫び出すのが百も承知のお母さん方は、今日も、台所で肉ジャガを煮ながら待っていてくれることでしょう。

[受験歳時記] 第25回「肉ジャガ」

お醤油が塩味を加えながら具材のうま味を引き出しています。コンロにかけた鍋の中、グツグツ煮える肉ジャガは、角をぽろぽろ丸く崩しながらほっこりしたおいしさをのぞかせています。くし形に切られた玉ねぎと銀杏切りされた人参の間から、さやいんげんの煮汁のからんだ緑色が見えています。塾から、学校から、試験場から帰ってくるや否や、玄関で「お腹、すいたあ」と叫び出すのが百も承知のお母さん方は、今日も、台所で肉ジャガを煮ながら待っていてくれることでしょう。

[受験歳時記] 第24回「年賀状」

毎年届く年賀状。「賀正」「謹賀新年」「笑顔万福」「吉祥招来」などなど赤くスタンプされたものが多いなか、ユニークなのはハガキの全面に「春賀喜多、春賀喜多」の八文字を大書しただけの賀状。そこには、挨拶の堅苦しさを取っ払った一種ぶっきらぼうな文字が躍り、送り主の変わらぬ人柄と息災ぶりを伝えています。

ページトップへ