[受験歳時記] 第47回「年の瀬」

餅つき大会

冬空の下、堤防沿いの空き地から威勢のいい声がする。何家族かが集まって河原で餅つき大会をしているらしい。丹念に捏ね、こまめに均し、潰しては水を打ち、折り畳んではひっくり返す。次第に粒立ちを失っていくにつれ、もち米は、臼の中でつやつやと肌を光らせ始める。初めはざらついていた米粒も、上から、横から力を受け、お餅のうま味が引き出されていく。いびつだった全形も、ぶつかりちぎられするうちに、個々の持ち味でつやを帯び、弾力ある塊が一つ出来上がる。何から何まで「手作り」という点で、餅づくりは家族づくりに似ているかもしれない。

不思議さ

スクエア195号のインタビュー記事の中で、早稲田大学高等学院の生物科の先生が、教師を目指した動機についてこんな内容のことを答えている。「生き物は細胞の構造体という本来生き物ではないものからできていて、そこに神秘性を感じたからです」。疑問にも思わないことだが、あらためて指摘されると不思議さは深まる。確か北原白秋に、「バラの木にバラの花咲く、何の不思議もないけれど」とかいう短い詩があったが、不思議でもない現象に「!」を感じるのが詩人だとすれば、この生物科の先生は、見過ごしそうな現象に「?」を感じた科学者の一人といえるだろう。生き物でないものが集まり、ある段階のある瞬間、生き物としての命を持つ。いろんな部品を糾合し合体を完了するや、おもむろに生命活動を始める。宇宙や星の誕生にも通じる神秘を極小世界の中に見いだし、魅了されたのだろう。

ラグビーW杯

W杯からはや1年、父親とのラグビー観戦から帰った男の子が、母親の顔を見るや興奮気味にこう切り出したという。「転んで、走って、また転ぶんだよ」。数あるスポーツの中でラグビーは、最も人生絵図に重ね合わせやすい競技の一つだろう。実際、この男の子の報告からも、土にまみれる気概の必要性を教えられる気がする。ノーサイドが告げられると両チームだけでなく、それらを広く囲む競技場までもがワンチームとなった光景は今も忘れ難い。深く刻まれた印象がさまざま語られたなかには、楕円のボールを吸い込む輝くばかりの空の青さを、光の画家フェルメールの絵のようだと見事な形容をしたラジオリスナーの投稿もあった。また、多国籍の日本代表の強さを、鉄の結束ではなく、「合金」に例えた言説もあった。錆びやすく折れやすい単体の鉄ではなく、炭素やニッケルと融合することでしなやかさを獲得した合金である。

365mの道

もともと、夫婦は見知らぬ同士、赤の他人。それが、水より濃い血でつながる子どもを真ん中に、仲良く川の字になって眠るのだ。家族とは、子どもという中枢細胞がカチッと嵌め込まれ、全パーツがそろうや起動開始する精密な構造体なのかもしれない。同時に、しっとり粘り気を含んだ手作りのお餅であり、耐食性に優れたステンレスでもあるのだろう。

年の瀬に思うのは、日々暮らしていくなかで、時に起こるうれしいことや楽しいことは、限りなくゼロに近い確率で生まれてきたことへのお祝いなのかもしれないということだ。誕生へのご祝儀が365mのひとすじの道の上に点々と置かれていると考えてみてはどうだろう。誕生日は年に一度だが、そんな誕生祝いなら毎日あってもいいほどだ。いや、むしろうれしい、楽しいと積極的に思える力が必要なのかもしれない。

悲観は気分、楽観は意志。意志を持って新しい年を迎えよう。

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