[受験歳時記] 第45回「食欲の秋」

食べ盛り

家に帰るなり、「お腹が空いたあ、目が回る〜」とテーブルに突っ伏したかと思うと、その後、たらふく食べ終えるや「食べ過ぎたあ、苦しい」とソファに倒れ込む。こうして子どもは、毎夕食の前と後に決まって一度ずつ「悲鳴」を上げながら大きくなっていくらしい。そして一方母親は、お釜の底を驚きの表情で覗き込みながら「まるでお相撲さんを育てているみたいね」と心嬉しく笑顔を浮かべている。

不屈

お相撲さんといえば、幕尻の照ノ富士が幕内最高優勝を果たした。それも、けがと病気にたたられ続け、大関から序二段まで陥落、そこから這い上がり再入幕を遂げ、ついに2度目の賜杯獲得という史上初の快挙だ。優勝インタビュー中、彼はずっと国技館の2階席を見ていた。その壁には、歴代優勝力士の写真額が飾られ、大関で初優勝した5年前の自分の額も1枚隅っこに並んでいる。当時は「イケイケの勢いだけだった」と本人、はるか年下の少年力士たちに交じり部屋の雑用と治療を続け、引退の文字が頭をよぎるたびに、必ず2枚目の写真額を飾ってみせると思い続けてきたそうだ。

「後輩の上位力士の世話をすることで、人を支えることを知り、大人の顔になって戻ってきた」と親方は言う。「俺が、俺がのが(我)を捨てて、おかげ、おかげのげ(下)で生きる」。近所のお寺の木戸の脇にそんな標語が貼ってあったが、神輿の上で我を誇示するよりも、下に回ってくれた人の支えを知れということなのだろう。

勝ち名乗りを受け、軍配に載せられた懸賞が目の前に差し出される。左、右、中と手刀を3回切り、分厚い封をがっちりつかむ。そういえば、あれに似た手の動きを、最近どこかで見たような……。

コーヒー豆

街角のコーヒー店に女性客が一人来店した。対応に出た店員とカウンター越しにしばらくやり取りした後、エクアドル産のコーヒー豆を注文したようだ。共にマスクをしているが、ここまで全て手話である。飛沫も飛ばないし、間隔を気にせず話ができる。今だけの一時的な伝達手段としてではなく、もっと手話で話せる人の広がりがあるといい。

今春の都立高校の国語の独自問題に南米エクアドルに思いをはせる作品があったが、もし、手話で自在に話せたら、南米の大農場で麻袋に詰められ、はるばる日本の港に荷を下ろし、この店までやってきたコーヒー豆の長い船旅や流離の思いを想像しながら、語り合うのを楽しみたいものだ。

女性客の去り際、店員は、広げた左手の甲の上で、かざした右手を上下に振った。手話での「ありがとうございます」は、手刀を振る動きにも見え、神事の芸能の一種である相撲のしぐさは、コーヒー店の店先でも、引き立ててくれた相手への感謝を表す行為として似たところがあるのかもしれない。

たわわに実った稲穂の田圃は、風が渡ると黄金色に波立つ海のようにも見えてくるが、食べ盛りの子どもたちにとっては、「さあ、どうぞ、お腹いっぱい召し上がれ」とコーラスのように声を合わせて誘う豊穣な眺めであることだろう。

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