[受験歳時記] 第42回「ご褒美」

日常

ある番組のリスナーからのお便りに、こんな話が紹介されていた。つい先日までは、毎日、いつもの時刻、いつもの電車、いつもの車両に乗っていた。すると決まって途中駅から乗ってくる、顔だけは毎日見かける人がいた。しかし、最近は自粛で週1度しか出かけないのでずっと見かけずにいた。規制が明け、久々にいつもの電車に乗ると、その日も例の人が途中駅から乗ってきて、つかつかと近づいてくるや初めて声を掛けてきた。

「大丈夫でしたか。しばらく見えなかったので、心配してたんです」
どうやら病にでも伏せっているかと気に掛けてくれていたらしい。
「この次の駅から乗ってくる方も、あなたのことを心配していらしたようですよ」

名前も知らない相手なのに、しばらく姿が見えないというだけで、こんなにも身を案じてくれていた人が、同じ車両に2人もいたことに感激したという内容だった。混み合うなかで揺れているだけの殺伐たる電車風景と思いがちだが、日常とは、赤の他人同士の見えない交流に満ちた、かなり高級な営みの繰り返しだといえるだろう。

タワー

今年の七夕は、例年に増して願い事が多すぎて、どこでも超特大の短冊が必要になりそうだ。先日も、とあるタワーで1日限定のライトアップが行われたが、さながら観光復活を祈念してカラフルに染め上がる巨大な短冊に見えたことだろうメインデッキまでは600段の階段を歩いて上れるそうで、16段ごとの踊り場で向きを変えながら、つづら折りに上っていくらしい。しかし、なんともつらいのは、ただただ単調な最初の100段。

そして、ギブアップ直前の折れそうな心を立ち上げてくれるのが、いきなり眼下に広がる眺望。林立する高層ビル群、遠くに見える臨海のきらめき。それらを赤い鉄骨越しに眺める景色は、何よりのご褒美だという。

3つの「べからず」

本来ならば、五輪で沸き立っているはずの7月。半ば放心状態のような気持ちの落ち込みから、アスリートたちが、どう起き上がろうとしているのか。前を向き続けるとか、今できることをするだけといったなかに、1人、ユニークな発言があった。

「今年がラストチャンスだったのですが、今、頭上に降る雨は、自分にだけ降りかかっているわけじゃないですしね。私には3密ならぬ、3つのべからずがありまして、それを心掛けようと思っています。すなわち、天を恨まず、人を咎(とが)めず、断じて腐らず」

いつもの年なら、入学式も始業式も同じ顔してやってくるが、今年は形を変え、あるいは形無いまま、違う後ろ姿で去ってしまった。
起きてしまった不可避な不運が、いったい自分に何を教えようとしているのか。それについて考えてみることが大きな学びなのかもしれない。ただ一点、信じてみたいのは、ひとつの不運は、後に必ず、より大きな福をもたらすものだということである。タワーの最初の100段の辛抱が、日常という幸福な営みの眺望を、ご褒美としてもたらしてくれるように。

ページトップへ