[受験歳時記] 第35回「サイレント」

母と子

梢(こずえ)の先端の枝先まで色付き終えた並木道。その立体絵画のような木々の装いに母親は思わず声を上げた。「まあ、きれいな紅葉!」すると、野球帽の下から手を引かれた男の子の声がした。「ママ、こうようってなあに?」「黄色だった葉っぱが赤くなることよ」「ふ~ん」と答えてしばらくすると、今度は坊やが顔を輝かせて声を上げた。「ママ、いま、あそこの信号も紅葉したよ」

生まれたばかりの子猫は母猫にだけ聞こえる声で鳴くという。小さな口を開けて子猫はしきりに鳴いているが、人の耳には届かない。母猫に甘えるときに発する、この特殊な周波数の鳴き声は、通称「サイレント・ニャー」というそうで、甘えられた母猫も同じ周波数を返し、子猫を愛撫し、あやすらしい。

信号が変わり、先ほどの親子が手をつないで横断歩道を渡って行く。帽子の坊やが見上げる先には、世界で一番好きな笑顔がある。母親が話しかけるたびに、野球帽は元気にぴょんぴょん跳びはねる。サイレント・ニャーは、人間世界でも交わされている。

書道展

文化祭の書道展。友達同士らしき制服姿の二人の高校生が見学中。正面には、端正な文字が直立したり、正座したり、あるいは自在に暴れ回ったりと、縦書き書体の掛軸が何本も吊り下げられている。そのうち金賞は、筆勢の赴くまま一気に太々と書かれた「乾坤一擲(けんこんいってき)」。銀賞は、あふれる創作欲を抑制した「粛々(しゅくしゅく)」。偶然にも、そこに居合わせた前述の高校生は、胸に付けた名札からすると金賞、銀賞のトップ2、まさにご当人の二人だった。称え合う言葉こそ口にしないが、交わす視線でサイレントな会話をしている。相手の作品ににじむ質感の豊かさや筆の運びの見事さに、敬服し合う気持ちを感じ取っていたはずである。おそらく二人の間では、そんな何回ものアイコンタクトで、好敵手こそ真の友と認め合ったことだろう。

エレベーター

カレンダーも残り1枚。受験勉強に拍車がかかる一方で、めっきり口数も減る頃だ。まるで、それぞれの思いを抱えて乗り合わせたエレベーターの中のように、日々寡黙になる頃である。階数表示のオレンジ色の点滅を、残り日数の表示のように黙って見上げるサイレントな時間帯である。自分を抑えてじっと待つ。書道展の二人と同様、黙して語らないが、他者を砥石(といし)にさらに自分を研ごうと思っているのかもしれない。目的の階に着くまで、そして時が熟すまで「粛々」と待っているのかもしれない。扉が開いたその時は、一目散に問題用紙に食らいつき、そして最後の1問には「乾坤一擲」の勢いで噛みついていく気迫も溜め込むのだ。

聖夜

水曜日に晴れる日が多かった一年、最終水曜日も澄みきった星空を願う。子を気がかりに思うのは親の性分、子に甘えられたいのが親である。だとしたらサイレント・ニャーでケーキと温かな一時を親に甘えてみることは、星降るサイレント・ナイトにふさわしい贈り物になるかもしれない。

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