[受験歳時記] 第29回「サプライズ」

選挙権

テレビ局が投票所から出てくる若者にマイクを向ける。投票率低迷のなか、こうしてきちんと選挙権を行使する若者の考えを聞いてみようということらしい。国民の権利だからとか、有権者として当然だからとかいった声が返ってくるものと思いきや、一つ聞き逃せない回答があった。「何世紀にもわたり、無数の人が血を流し、命を落としてやっと勝ち取ったのが僕らの今の選挙権なのだ、と昔から父親が言い続けていたから」と。一票の意義を歴史で語り、今という時代を生きた教材として説明できる父親は未だ健在らしい。

父親の居場所

親と出かける場合、母親となら心浮き立つが、父親とではどこか気詰まりなものがある。母親の慈愛の雨は優しく降り注ぐが、直射光のような父親からの不器用な厳愛は当たりがきついのかもしれない。自営で塗装業を営む家の一人娘。よそのお父さんはスーツとネクタイで毎朝出かけるのに、うちは一日中、隣の作業場にいる。友だちが遊びに来ている日も、ペンキで汚れた作業着のまま平気で家の中を歩き回って恥ずかしい、と盛んに母親にこぼす娘。

ある日、陸橋の塗り替え工事が始まり、登下校のたびに徐々にきれいに塗り上がっていくのが、家業を見てきた経験から分かる。黙々と作業をする男たちは父同様、全身、塗料でひどく汚れている。父の作業場には「広い面は美しく、目立たぬところは丁寧に」とスローガンが張られている。父もあの男たちのように、外の現場では、地べたに頭をこすりつけ、ロープで宙吊りにされ、目にしみる汗をこらえながら、目立たぬ部分を丁寧に仕上げているのだろうか。

一票の意義を伝える父親や滴る汗を見せる父親から有形無形に子どもが受け継ぐものは、いつか、突如、子どもの中で開花するだろう。

ジューンブライド

その十数年後の6月の大安吉日、今日は娘の結婚式。プログラムも終えた最終幕。突然、照明が消え、次の瞬間、軽快な音楽に合わせて飛び出した一つの影。コマのように回転しながら、テーブル席を縫い、数百人の視線を釘づけにしたままステージ中央まで進む。次々に繰り出されるステップに喝采も止まず。リズム感も鮮やかに、ヒップホップを舞うこのパフォーマンスの主は? 他でもない、礼服の上着を脱ぎ捨てた花嫁の父!

田舎でペンキしか塗ってこなかった父が、いつの間にこれほどの振り付けを! これほどのサプライズを!しかし、よく見ると、宙をなぞるようなしなやかな動きは広い面を美しく塗りあげるときの腕の動きだし、細かくなびかせる指先は目立たぬところを丁寧に塗りあげるときの刷毛(はけ)を握る指の動きそのままだ。父にとって、娘に疎(うと)まれながらペンキを塗り続けてきた日々は、本番に備えての長い長い訓練の日々でもあったのか。

結婚式が6月に集中するのは、純白のドレスも、汚れた作業着も、人生を彩る晴れやかな正装であることには何ら違いがないことを「父の日」に添えて伝えようと、子らが望んでいるからかもしれない。

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