[受験歳時記] 第28回「柏餅」

電車内で

4人がけのボックス型の電車内、いきなり背の高い男性が立ち上がった。見ると家族旅行らしく、同じく立ち上がりかけた奥方を制しながら、1人の老婦人に席を譲ろうとしている。席を譲られ大層恐縮がって座った老婦人は、おもむろに手にしたバッグから紙包みを取り出して、目の前に座っていたこの外国人夫婦の10歳ぐらいの双子の男の子に、どうぞと勧めている。手のひらに一つずつのせられたのは、しんなりとみずみずしい葉にくるまれた柏餅。電車に乗る直前、たまたま駅の構内で10円引きの314円で売られていたのを見つけ、つい買ってしまったらしい。

日本の餅菓子

3月の桜餅が、しっとり巻かれた薄紅色の中身を恥ずかしそうにのぞかせるのに対して、5月の柏餅の白さには、身をふっくら包んでいる周囲の葉を外に向かって押し開こうとしているかのような元気の良さが感じられます。さながら柏餅は「力こぶの腕白坊や」。草、蕨(わらび)、鶯(うぐいす)、桜と続く春の餅は、柏餅から夏に入るんですよ、と老婦人は日本の餅菓子の豊かさを楽しそうに話しています。季節の暦に風習や行事の区切りを入れ、その節目ごとにうるち米を捏(こ)ねては、子供の成長や五穀豊穣を願ってきた文化がもたらしたお餅なのですよ、とでも教えているのでしょう。

周りの日本人の乗客たちが、この家族から学ぶべきこともあるようです。先ほど男性が立ち上がったとき実は、奥方のほかに2人の子供たちも同時に立ち上がろうとしたのです。座れずにいたのは老婦人だけなので、1人立ち上がればよいところ、父親が手で制することがなければ、家族全員が立ち上がっていたでしょう。老婦人が大層恐縮していたのは、全員一斉に立たせる事態を引き起こしそうになったことに対してだったのでしょう。

高齢の婦人を遇するにも、性別、年齢を問わず、まず自分が席を立つべきだと親の指図なく振る舞える双子の少年、狭い車内も広い社会の一部、その一員としての所作を示せる少年たちであることに、スマホに夢中な若者や、眠ったふりの男性は気づいていたでしょうか。

円周率

ところで、柏餅10円引きの314円と言えば3.1415926……と続く円周率を連想しますが、そのちょうど千桁目は1989と並んでいます。さらに、その4桁前はなんと2019!偶然にも新元号と平成とは、この無限小数の中で元年同士を重なり合わせながら隣り合っているのです。限りなく続く円周率の中に、元号の継承を示すヒントが埋め込まれていそうな不思議さを感じます。

手前のボックス席に座る日本人男性の広げる新聞には、平成の日付が入っています。それもまもなく国家と国民の安寧(あんねい)を願う新元号に変わることでしょう。その切り替えのタイミングに差し掛かることを考え合わせると、もしかしたら今年の柏餅に限っては、子どもたちの健やかな成長を国家規模で願うお供えとして、特別大きな意味を持っているのかもしれません。

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