[受験歳時記] 第26回「ボールゲーム」

高校時代

あるカメラマン、プロとして名を馳せる今でも、取材に出かけるたびにラグビーに明け暮れた高校時代を思い出すという。バッグからカメラを取り出すとき、鼻先に立ちのぼる黒いカメラカバーのにおいが、学校の帰り道、川べりの土手で入念に手入れをしたラグビーボールの皮革用クリームのにおいを思い起こさせるらしい。

試合は始めてみないと分からないし、展開の同じ日は一日とてない。同じゲームも二度とない。不撓不屈を信条に試合に臨んだものの、予想を上回る突進とブロックをまともに食らい、一進一退の攻防。防御の空いたスペースを突くと、たちまち矢のようにチェイサーが追いかけてくる。分厚いディフェンスが炸裂し、逃がすチャンス、迎えるピンチ。猛追及ばず2点献上するや、一転、風上に立った好機を活かして3点奪取などなど、フィールドには幾多の無念と歓喜の汗が染み込んでいる。

ルールを守って80分、試合が終わればノーサイド。30人のラガーマンたちは互いを称え合い、重戦車役のフォワードも、切り込み隊長を果たしたバックスも、敵味方なく、たちまち数年来の友になる。肩をたたき、握手をし合うこの時間が一番幸せな時間だった、とカメラマンは懐かしそうに振り返ります。

トレーニング

イギリスでフットボールの試合中、一人の少年がルール違反。事もあろうにボールを抱え込んだまま走りだしてしまった。しかし、そこは機知と寛容の国、大英帝国。ボールを手に持つことを認める新たな競技としてラグビーを立ち上げた。サッカーが連携、連動を生かしたゴール前での個対個の球技であるのに対し、ラグビーはスクラムをかいくぐった両チームの韋駄天による陣取り合戦です。サッカーと違い一人ではタックルも壁当てもできない、練習には必ず仲間が必要です。

そこで、ある日本選手権常連チームは、選手一人でもトレーニングできるよう、クラブハウスの隣に6段のミニ階段を持ち込んだそうです。これがシンプルにしてベスト。バーベルや水袋を背負って何回も上り降りを繰り返すうちに筋力がつき、選手も体の使い方を知っていく。それだけ計算しつくされた階段の幅と段差と段数だそうで、バランス感覚と体幹づくりも正しく行わないと効果はない。ラガーマンの強靭な体は「1日1回を毎日欠かさず」という習慣と継続の賜物であり、トレーニングに魔法はないのでしょう。

楕円

勝負には綾があり、試合の流れを変える大きな要因があります。中でもラグビーの場合、ゲーム展開の綾をなすのは、ボールの形です。ボールが楕円形であることです。手に持ち、腕に抱えるには丸いままでは持ちづらく、落球しかねない。そこで豚の膀胱に牛の皮を張り空気を入れたら軽くて持ちやすい形になったのが、ラグビーボールの始まりだとか。しかし、楕円形では蹴ったボールの飛ぶ方向がままならない。その覚束なさ、定め難さは、素人だからこそ抱く気持ちですが、もともと答えは逸れながらよろけながら探るもの。おそらく楕円球は蹴ってみないと分からないというよりも、蹴ることで今分かっていることが見えてくるものなのでしょう。

ラグビーは開始のホイッスルが響きわたるや、両軍一斉に何かを「取り返すことに必死になる」ゲームのように見えてきます。何を取り返すかといえば、マインドセット。今日までのプレー経験や培った価値観、あるいは自軍の勝機か、絶対勝つという自信か。何であれ、それらのすべてを楕円のボールに託して駆け回る。チャレンジとは取り返そう、取り戻そうと必死になることであり、必死にならなければ、巨艦のように見える敵軍のウィング(※)を倒せるはずがありません。そして、その必死なる敢闘精神は、360度のスタジアムに向けて絶叫と熱狂を巻き起こします。

※ウィングスリークォーターバッグ。ラグビーの花形ポジション。

夕暮れ、土筆(つくし)の群生

取材を終えた帰り道、久しぶりに川縁の土手に腰を下ろすカメラマン。ふと見ると土筆の群生が小さな楕円形の先端をこちらに向けて、写真家の道を行く自分に、声援を送ってくれています。誘われて思い出す遠い昔、インステップから押し込むように蹴り上げたボールが、ゴールポストの間を、クロスバーの上を、高く高く越えていった決勝のキック。あの日の空に吸い込まれていった楕円球を、頭上に広がる夕空の中に探しでもするかのような思いで、カメラマンは土筆のカーペットの上に寝そべっています。

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