[受験歳時記] 第25回「肉ジャガ」

鍋の中

お醤油が塩味を加えながら具材のうま味を引き出しています。コンロにかけた鍋の中、グツグツ煮える肉ジャガは、角をぽろぽろ丸く崩しながらほっこりしたおいしさをのぞかせています。くし形に切られた玉ねぎと銀杏切りされた人参の間から、さやいんげんの煮汁のからんだ緑色が見えています。塾から、学校から、試験場から帰ってくるや否や、玄関で「お腹、すいたあ」と叫び出すのが百も承知のお母さん方は、今日も、台所で肉ジャガを煮ながら待っていてくれることでしょう。

小さな怒り

他校をいくつか受けたけれど不合格が続き、前日まで「明日は受けたくない」と泣きじゃくっていた娘さん。第一志望入試の朝、そのお母さんは、こう励まして送り出したそうです。「あんなに頑張ってきたのに、このまま終わってもいいの」と。直後、本人も、おそらく、自分に向かって、叱りつけたことでしょう。「このままで終われるか!」と。発表日にうれし涙を流した娘さんは、後日、語っています。心の中の弱気の虫が頭をもたげてきたときは、自分に対する小さな怒り、「このまま終わってたまるか!」とプチ・アンガーを持つことです、と。そして、合格の夜、お母さんが作ってくれた肉ジャガの味が一生忘れられないとも。

『私、(  )に変わります!』の(  )に、その時々に合わせた言葉を入れて自分を励まし、奮い立たせる。小さな怒りなら怒りの絵文字でもよいでしょう。一瞬前の自分より、一歩前に踏み出すためには、頭の中に空欄を作ってみること。そこに、そのときふさわしいアグレッシブな言葉を考えてみるとよいかもしれません。

家明かり

母親は、子どものおむつを替えながら「おやっ」と驚きます。この間まで、厚手の座布団の真ん中にすっぽりおさまっていたはずなのに、今日は手も足も座布団からはみ出しかけています。やがてセーターから手首が、運動靴から踵(かかと)がはみだすときも、同じような驚きを味わい、こう思うことでしょう。「子どもって、既存のサイズからはみ出しながら大きくなっていくんだわ」と。

脳神経細胞の働きは、せんじ詰めれば「生きたい、知りたい、仲間になりたい」の三つに収束するそうで、子どもは、この本能の赴(おもむ)くままにフル稼働することで、心の浮き輪を探しながら行動半径を広げ、既存のサイズからはみ出していくのかもしれません。

ただし、子を待つ母親たちにとっては、あらゆる瞬間は途中経過の連続なのだと、その成長の一刻一刻から教えられます。エプロンで子どもの涙を拭き取ってあげたときの、いたいけな肩の細さも懐かしいし、ぱりっとアイロンの効いたシャツを眺めては、まぶしい幸せを感じた日も思い出されます。一日を終え、子どもが無事に帰ってくるということ。ぽおっと灯された家明かりの中に「ただいま」と聞きつけて「肉ジャガが煮えてるわよ」と返すこと。そんなことの繰り返しの毎日ほど、いとおしいものはないでしょう。

人間の美質

カサコソカサコソ、落ち葉が数枚、風にあおられ舞い立ちます。木々は冬越えのために葉を落とし、冬の寒さに備えます。乾いた葉は手に持つともろく形状をくずし、粉々の断片は小渦を巻いて宙を輪舞しながら落下していきます。落ち葉さえ美しいと感じるのは人の心の有りよう、生きとし生ける人間の美質の為せる技かもしれません。

受験とは、その懸命な姿を見守る家族、周囲、後輩に対して、英気や気勢をもたらすことにその貴さがあるのかもしれません。宙を舞う枯葉の崩れゆく美しさが人の目を奪うのと同様に、気概の高さを示す人間の営為が織りなす一場面、ある局面が伝える細部の真実に、人は心打たれるものなのでしょう。

火加減、水加減、素材の色、料理はキッチンの化学であり、調味は一匙(ひとさじ)の技です。肉ジャガに沁み込んだ食欲をそそる甘い醤油の色も、加熱時間と煮汁の温度、化学と技の粋(すい)の一端です。その最高点の味付けを一皿の味見で見分ける母親の味覚は、教えています。子育てとは暖、柔、悠――あたたかく、やわらかく、ゆったりと。ちょうど今しがた、食べごろの味に煮立った鍋の中の肉ジャガのように。

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