[受験歳時記] 第24回「年賀状」

布テープ

毎年届く年賀状。「賀正」「謹賀新年」「笑顔万福」「吉祥招来」などなど赤くスタンプされたものが多いなか、ユニークなのはハガキの全面に「春賀喜多、春賀喜多」の八文字を大書しただけの賀状。そこには、挨拶の堅苦しさを取っ払った一種ぶっきらぼうな文字が躍り、送り主の変わらぬ人柄と息災ぶりを伝えています。

さて、件(くだん)の「春賀喜多」の賀状の主(以下:春賀氏)がまだ学生だった頃のこと。エンディングで出演者が滑走路を横一列になって歩く、そんな刑事ドラマを真似てか、廊下を数人で横に組んで歩く風潮が広まり、校内問題化したことがありました。廊下が狭まれふさがれる、あの「ドラマ歩き」をどうしたらなくせるか。貼り紙、見張り当番、校内放送などで一列歩行を呼びかけようと、あれこれ防止策が出尽くした後、春賀氏が手を挙げました。

「廊下の真ん中に線を引きませんか」。――センターラインという車道の発想を廊下という歩行者空間に持ち込んだのは、視点をずらしてこそ得られる意表を突く提案でした。また、真新しい白線を平気で踏みつけることは、いかにも厳正なルールを荒々しく蹂躙(じゅうりん)するかのような行為にも感じられ、そのやましさもあってか、どの学生も従うようになったとのことでした。こうして貼られた布テープのセンターラインは効果絶大だったのです。

ねじれの位置

どのような会議や打ち合わせにも、流れを妨げることなく、かつ的を外さぬ意見を述べる人がいるものです。割り切れない結論に向けて、皆がしぶしぶ妥協しそうな雰囲気のとき、各自の微妙な気持ちをすくいとり、斬新な発案をもって空気を一新してくれる人がいるものです。縁に浮かべた一切れのレモンが、紅茶をティーカップごとトパーズ色に染め変えてしまうように、クリアな冴えを発揮して話し合いの場を一変させてくれた春賀氏の存在は、会議に参加した学生たちにとっては、さぞやありがたかったことでしょう。

数学の図形問題では、平行でも垂直でもなく、交差もしていない二本の直線の位置関係を「ねじれの位置」と呼んでいます。直接ズカズカと踏み込まない、一定の距離感を保ちつつ、何かが起これば立ち上がるが、普段は影響領域のやや斜め上、目障りにならぬよう視界の外縁部で静かに控えている。そんな自分にとって言わば「ねじれの位置」に立つ人は、考えに窮したとき、心に沁みる納得のいく一言を言い放ち、立ち直らせてくれる人でもあります。

あらゆる現状に目が届き、それらを統合した名アドバイスの数々には、いつも高くて大きな視点が感じられます。

群管理

子どもにとって学習の手ごたえは「必ず返ってくる」ものがあることです。それも時をおかず、学習に投じた分以上の「戻り」をすぐに受け取れると、子どもはやる気を見せます。さらに誰かの眼が光っている、自分を見てくれている人がいると感じられると、一層張り切ります。

近年、話題や人気を集めている躍進校に共通する点は、実施したことの結果を全生徒にきちんと返し、自己管理させている点、そして、その一連の流れの隅々まで学校側の眼がやんわりと光っていることを生徒にも感じさせるような仕組みが開発され、機能している点でしょう。

こうした学校の生徒にとって、先生は、気遣い上手で盛り上げ上手、そのうえコツンと響く一言で自分たちを覚醒させてくれる「頼もしくて手ごわい存在」。おそらく先生方は「ねじれの位置」からいつも生徒に視線を当て続けていることでしょう。

ビルの地下でボタンを押しても、1階のエレベーターのカゴは止まったまま。はるばる7階から下りてくるカゴをジリジリと待つしかないことがあります。これはエレベーターが回送・待機・輸送のうちのどれかの役割を当てられた「群管理」の下で安全に運行されているからで、連絡すればいつも最も近い場所にいるタクシーが配車されてくるとは限らないことと同様です。待たされる利用者としてはそわそわと不安ですが、群管理という全体の仕組みが分かっていれば、自分一台分の不便などという部分的な不都合にも納得ができるものです。

全体の状況が見える人が、「ねじれの位置」からいつも自分に注目の目線を送っている。そのことを子どもたちに感じさせることができていれば、不安などお構いなしに、「春が来た、春が来た」と新春の到来を喜びながら、子どもたちは元気よく動き回ることでしょう。

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