[受験歳時記] 第23回「カレンダー」

平成の砂時計

リビングのソファーに座ったまま、しばらく壁のほうを見ていた女の子。何か見つけた、と言わんばかりにうれしそうな表情をして近づいて来て、母親にこう報告したそうです。

「ねえ、ママ。カレンダーって、毎月、席替えをしているね」

1が真ん中にある月もあれば、右端に寄って青くなったり、左の隅っこで赤くなったり。順番を乱さずに並んでいるけど、1枚めくるとみんなそろって位置を変え、行儀よく自分の席に座っています。

年が明けて120日目、「平成の砂時計」は中身が空になり、次代の砂時計に代替わりします。ある有名レストランでは、来たる4月30日の夜、どのテーブルもすでに予約でいっぱいだそうです。平成最後の夜に美食と饗応(きょうおう)を尽くそうというのでしょうが、同じ近づく「終わり」を迎えるならば「お通りください」と道を開けて見送ってみてはいかがでしょう。フィナーレを見届ける世間の騒ぎをよそに、ぼんやり眺めてやりすごすのも、終末の見送り方の一つなのでは――ただ淡々と、坦々と。

当時、官房長官だった小渕氏が「新しい年号は……」と切り出し、ひととき間を置いてから、おもむろにプレートを裏返すまで。その長い長い一瞬の後、全国民が固唾をのんで見つめた画面に映し出された「平成」の二文字。あの日のテレビニュースは単なる報道を超え、一億総国民が時代の境界線を一緒にまたいだ瞬間を思わせるものでした。同じ年、まさかベルリンの壁が無くなるとは思わなかったし、世界を、日本を驚嘆させる出来事が集中して起きた年でした。そして、この平成元年は、折しもSAPIX中学部誕生の年でもあったのです。

30枚の屋根瓦

夢の寿命は8秒だといいます。8秒以内なら夢は鮮やかに記憶によみがえる。しかし8秒経っても、8年経っても、いや30年経っても、平成という時代は、身に、心に深く刻み込まれて忘れがたい時代でした。

それは、橋の下を流れ去った30年分の水量にも匹敵するでしょうし、踏み固められた30年分の地層にもたとえることができるでしょう。しかし、その間、受け継がれてきたSAPIX生のバトンのつながりをとらえてみれば、少しずつ重なりながら強度を増していく「30枚の屋根瓦(やねがわら)」のような系譜だったのではないでしょうか。

希望とは前を向いている人の後ろ姿に現れる、という言説に従えば、前を向く先輩の広い背中に己が希望を描いた後輩が、その後輩が、またその後輩が、と連綿と後ろ姿を示し続けてきたのではないでしょうか。先輩に成功のヒケツを聞いてみれば、彼らはおそらく、あり余るほどの失敗談を語ってくれるでしょう。後輩たちは、そこに、もがいた経験を力に変えて、年々しぶとくなっていった先輩たちのエネルギーを、見てきたのではないでしょうか。

底光りさせて放たれる先輩たちの自信は、失敗から得た強靱な回復力によって構築されてきたものだったと後輩たちは知ることでしょう。

西のタワーと東のツリー

結婚式でのスピーチの一つに「冬のハリネズミ」の話があります。ハリネズミの夫婦は近づきすぎると相手を刺し、離れすぎると互いに寒い。程良い距離の必要性をたとえた話なのですが、幸福とはささやかな建設であって、それはハリネズミの努力の積み上げのようなものなのでしょう。

今年の1月末、1億8千万人目の来場者が東京タワーを訪れたそうです。そして、そのわずか2日後に、今度はスカイツリーへの来場者が3千万人に達したそうです。夜の闇に赤く染まる鉄骨のタワーは昭和の象徴ですし、空に向かって貴婦人のように白く輝くツリーは平成の象徴です。タワーは山の手、ツリーは下町。大都市の東と西に、程良い距離を開けながら互いにそびえ立つことで、平和も繁栄も幸福も決して壊してはならない巨大な建物なのだ、と二つの塔は教えてくれているのかもしれません。

大みそかの除夜の鐘、いつにもまして、今年はひときわ感慨深いことでしょう。名残りの鐘の響きは、家々の屋根を越え、町を越え、清らかに、静かに、遙かな中に消えていきます。昭和とともに、平成とともに。どうか、よいお年を。

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