[受験歳時記] 第54回「体験記」

二つの頁

SAPIX中学部では今年も受験体験記を親子2分冊で発行し、その一部をWebでも紹介している。体験記は、書き手にとっては自分が自分に取材した記念文集であり、読み手にとっては自分に適うエピソードを掘り起こすときの参考文集である。

ある頁には、良かれと思い差し出した手が逆効果を招いてしまうかも、と子どもへの干渉を控える母親がいる。水辺の花には手のぬくもりがかえって花を傷めてしまう種類もあるらしいが、そんな花のならいにしたがい子どもとの距離にあえて自制心をきかせているのだろう。また別の頁では、受験の朝の子どもの背中に熱く一途な視線を送る母親が登場する。中国の史書『戦国策』に由来する言葉で、木戸に立って我が子の帰りを今か今かと待ちわびる母親の思いのことを「倚門(いもん)の望(ぼう)」というそうだが、試験会場に向かう子を見送る場面にも、同じ必死でひたすらな母親の思いが読み取れる。

娘と走る

開くと、保護者版の体験記には受験前の子どもたちが気持ちの安定を崩していく様子がいくつか書かれている。呆然としたり、下を向いたままだったりの子を黙って見守る親たちの姿がある。そんななか、中3の冬前、上向いてきていたはずの成績が全く伸びず、ぐんぐん追い詰められて大泣きする女の子が出てくる。絶対合格したいと現状を悔しがる娘の泣き声など、親にとっては生きた心地もせずに聞いていたことだろう。

その時の心境の一端を、その受験生本人がインタビューの中で両親への感謝として語っている。それによると、弱気になった自分を励ましてくれたのは母親であり、他方、父親は、朝型の娘の眠気覚ましのジョギングに毎朝付き合ってくれたそうである。付かず離れず、口を挟まず、娘と走る。娘の泣き顔がいつか笑顔に変わるならば、じっとしてなどいられないのが受験生の父親なのだ。まだ暗い中を、並んで走り抜けていく父と娘のランニングシューズの音が聞こえてきそうな逸話である。

倚門の望

世界を震撼させた感染症と社会的混乱は教育現場をも直撃し、例年の全スケジュールはズタズタになった。受験生を取り巻く環境も、通常の受験対策に生活の変容や感染症対策が加わり、二重、三重の試練の年となったことだろう。そうした影を色濃く落とした今春の受験体験記だが、そんななかならではの様子が書かれた手記が一つある。首都圏の高校を目指していた地方からの受験生、感染予防に移動規制が重なり、ずっと双方向オンライン授業を受けていた。規制が緩和された合間を縫って一時上京し、初めて校舎での授業に出てみたら、会う人ごと、クラスのみんながみんな、笑顔でこう声を掛けてくれたという。「やっと会えたね」と。

すでにパソコンの画面ではお互いに毎回の授業で目にしている顔であり、聞き慣れた声である。それがこの日ばかりは、問題を考えているときの仕草や座り方、お好みらしいペンの種類にまで目の端に認めつつ一緒に勉強できているのだ。共に机を並べることで醸し出される教室内の空気は、自分をまだかまだかと待っていてくれた人がいたこと、今か今かと待ち焦がれていてくれた人がこんなにいたことに気付かせてくれた。これからは「倚門の望」は漢文の世界だけでなく、令和の友達同士の間でも「やっと会えたね」の同意語として、使われてもいいのかもしれない。

体験記Web版 掲載中
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