[受験歳時記] 第15回「桜餅」

昨秋、ある男子校の学校説明会。会を終えた帰り、何気なくある教室に立ち寄ってみると、社会科担当の先生による「生徒の声」をまとめた1冊のノートが展示されていました。授業中などに聞きとめた生徒の言葉を集めたもので、書き写したくなるものもたくさんあったうち、最初のページの冒頭に載っていたのが ――「地理って現代史なんだな」という一言。地理と歴史では担当の先生も違うので普段は気がつかない。それぞれを詳しく学びはするが、分野を分ける仕切りが高く、社会科の中で枝分かれしているにすぎないことを忘れがちになります。しかし、地形、地勢、産業、生活と中身を追っていくうちに、深く1つの水脈でつながっていることに、はたと気がついた生徒の実感なのでしょう。大地の上に営まれる人々の生活を学ぶ中で、現在に至るまでの暮らしと経済活動に関心を抱き、地理とは現代史であることに思い至った瞬間だったのでしょう。

温泉地

山懐の温泉地、休憩がてらに足を止め、遠い山の頂の残雪を眺めながら湯船に浸かります。「肉体疲労は水溶性」という入浴剤のポスターがありましたが、たしかに体の疲れは温浴にゆだねるのが良さそうです。アルカリ成分を多く含む温泉には皮脂やたんぱく質をゆっくりと溶かす作用もあるらしく、肌に優しい化粧水のような泉質です。大浴場の格子模様の格天井、その巧みな細工にも目を遊ばせつつ肌のほてりを癒していると、やがて緑茶に添えた薄紅色の桜餅が小皿に載せられ運ばれてきました。

桜餅は呼び名も製法も東・西日本で大きく分かれるそうで、京都ではもち米を蒸した「道明寺」、東京では小麦粉で作ったクレープ生地の「長命寺」。関西以西がおまんじゅうだとすれば、関東から東北ではお菓子に近く、その東西の境目は新潟と静岡を結ぶ直線で区切られるとのこと。上品なこしあんの甘さを引き立てるようにうっすらと塩味のきいた桜の葉、しっとりした香りも立ちのぼり東西二つの春の和菓子は風味満点を競い合っているようです。

列島誕生

昨年の夏、日本列島の誕生に関する二夜連続の放送があったらしいのですが、生憎、見そびれてしまいました。その予告編によると列島誕生を解き明かすキーワードは「桜餅」だとか。はたして、小指で押してもつぶれそうな薄皮の桜餅と、一億人の人口を乗せる島国の大地とが、どんな来歴を重ね合わせているというのか、もはや知る術がないのですが、もしかしたら、日本列島は、「道明寺」と「長命寺」とに分かれる新潟―静岡を結ぶライン、フォッサマグナの地質帯で大きく分断されたのかもしれません。かつては、この狭い島国に史上最大の恐竜たちがのし歩いていたことも信じがたいですが、日本海が割り込んで列島が二本並んだ島国だったらしいこともにわかには信じられません。

さらには、東日本が反時計回りに、西日本が時計回りに回転することで、逆さの「くの字」になったと地層が物語る起源もあり、大陸の東端、この美しい弓なりの形からは、繰り返し味わった地球の巨大エネルギーや、そびえる陸の隆起、渦巻く海の陥没など、想像だにできません。

太古へのロマン

以前、映画化された松本清張の推理小説「砂の器」では、お国訛りが事件を解くカギになっており、東北地方と出雲地方の発音の一致に気づいた瞬間、一気に話が展開します。そして偶然にも、関西以西で、東日本のように桜餅を長命寺と呼ぶ地域が一ヶ所だけあり、何と、それは出雲地方。つまり、近畿・関西を飛び越えて長命寺と呼ぶ地域の「飛び地」が出雲にあることになり、このことを考え合わせると、「砂の器」よろしく、次の推理も成り立ちそうです。すなわち、かつて日本列島が並行する二本の島国になったとき、東北地方と出雲地方とは、互いに反対回りした左右の島の同じ関節の、同じ高さに位置した瞬間、一時的に接着したことがあるのでは?そんな太古へのロマンを誘う桜餅伝説が起こったとしても、不思議ではないかもしれません。

「地理って現代史なんだな」―――地理の授業中、そう直覚した男子生徒の頭の中には、大地の上に暮らしてきた日本人の歴史が映写フィルムとなって流れていたことでしょう。源泉かけ流しの湯船に浸かりながら日本人なら誰しも思うことでしょう。アルカリ泉質の効能は、大陸的規模の地殻変動が奇跡的にもたらした火山列島の余徳なのだということを。

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