[受験歳時記] 第14回「チョコレート」

サイズも厚みも

一日を終え、ようやく家に帰ります。そこで最初にすることは? 手洗い? うがい? いや、おそらくは多くの人がスマホの充電ではないでしょうか。バッテリー残量がほぼゼロのスマホは「お腹が空いたあ」と泣きだしています。大急ぎで電源プラグにつないであげると、ゴクリゴクリと、いかにもおいしそうに電気を飲み込んでいきます。しばらくすると、「満腹だあ」とでも言うように、自分でごろりと寝返りまで打ちました。どうやらねじれたままつながっていたケーブルが、たまたま反り返ったはずみで、裏返しにされてしまったようです。ケーブルを外して自由にしてあげると、母乳を飲み過ぎた赤ちゃんがかわいいゲップでもするように、小さく電子音を発しました。縦14・5センチ、横7センチ、厚さ0・6センチ。思えば何かにそっくりな大きさです。何だろうと考えているうちに、はたと思い当たりました。そうです、チョコレートです、板チョコです。

2月14日

芳醇なカカオの味わいとミルクの甘い香り、そして口どけのまろやかさ。2月はチョコの季節です。中でも板チョコは好きな大きさに割ってもいいし、好きなだけかじってもいい。ひとかけらのチョコからはじんわりと幸せ気分が広がります。赤毛のアンが親友に大好物のチョコを半分あげたのも、「半分ずつのほうが、2倍おいしくなるから」でした。分け合うほどに、抱えきれない幸せが、次々に舞い込む不思議な甘さのショコラです。

バイトに遅れそうな女の子。バスを待っていると、目の前にブルルルと先輩のバイク。「乗りな」と座った後部席。赤信号で止まるごとに前のめりになり、2人のヘルメットは軽くこすれ合う。女の子はひそかに思う。「14日は、真っ先に、この先輩にチョコを渡そう」。そんな胸キュンな出来事の小道具に、チョコレートは欠かせません。

学芸大附高の一般入試

そして、もう一つ。高校入試の会場でもチョコレートは必需品なのです。学芸大附属高校の一般入試。かつての受験生の皆さんに当日の開始直前の心境を聞いてみました。英語:「いよいよかあ(男)」数学:「計算ミスしそう(女)」「変なグラフがある(女)」国語:「古文がこわい(女)」理科:「時間が足りなさそう(男)」社会:「分厚い問題だなあ(男)」「意味不明の資料がある(女)」などなど。ハプニングとしては「机が狭い(男・女)」ためか「鉛筆を落とす人が多い(女)」ようで、「別の高校の受験番号を書いたかも(男)」とか「問題用紙がバラバラになってしまった(男)」など、落ち着きを失っていた人もいたようです。そして、終了直後の心境は、「できなかったなあ(女)」「マークをずらしてしまった(男)」「地図の問題でパニック(男)」など、とても余裕綽綽ではなかったようです。

ただし、これらのコメントが、すべて学芸大附属高校の合格者からの回答だと知れば、見方が変わってきませんか。これだけ自信を失い、入試を怖がり、予想外の出来事にドギマギしながら、それでも受かってみせてくれているのです。多くの受験生は四苦八苦、どうにかこうにか、山越え谷越えで合格していきます。ということは、もしかしたら、入学試験には、後から得る大きな喜びの代価として、先に非常な努力や不安を課すという「先憂後楽」の仕掛けが組み込まれているものなのかもしれません。

そんなしんどい時にはどうするか?しんどい時、ポケットの中にはチョコがある。バッグに入れて持ち歩く。ひと口食べたら元気になれる。ちなみに、受験生である彼ら彼女らの多くが、カバンに入れたチョコレートを試験の合い間にかじっていたとしても、不思議ではありません。口寂しいとき、エネルギー残量が足りないとき、ちょこまかちょこまか食べるからチョコなのですから。

跡継ぎ息子が都会へ出てからは、一代限りとあきらめて小さな工場を営む父親。わずか数人の従業員を連れ社員旅行で上京した夜、スカイツリーの脇に立つビルの近くを通ったとき、スマホから息子宛てに送ったメール。「お前のビルが偶然見えた。ここでお前は働いてるんだな。何やらじんわり感動した。がんばれ」。残業中のオフィスビルで、父親がそばを通った気配を感じた息子。家を出て都会で身を立てたい、と父と激論を交わしたあの夜の、裸電球の薄暗さまでもが、今となっては懐かしい。

手の中のスマホをそっと開いてみれば、そこには言葉のチョコレート。

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