[受験歳時記] 第12回「テーマソング」

音から始まる1日

2階の部屋から下りてくる二人の息子。上の子はタタタン・タタタン~の変則的な拍子、下の子はタンタンタン・タンタンタン~と規則正しい三拍子。共通しているのは最後の10段目をドスンと大きな音で締めくくり、「行ってきまあす」と学校へ飛び出していくこと。

毎日のことで気がつきませんが、1日は意外と決まった音やリズムでスタートしています。新聞受けの音、時報の音、あるいは台所からの軽快なトントントンという音が、目覚まし代わりだという人も多いでしょう。玄関で靴を履くときに奥から聞こえてきた番組の主題歌が、頭の中で流れ続け、その日のテーマソングになってしまうこともよくあるものです。

家や学校での1日が、何かの音から始まるということ。1日のイントロが切れ味のいいリズムであること。物音が聞こえ、音楽が鳴り、曲が流れ始めると、大きな音符がふわりふわりと目の前で踊りだす。それが「元気ソング」ならば一層です。映画ロッキーのテーマは「のんきに寝てはいられない」気にさせられますし、ZARDの『負けないで』が流れてくれば、「まだまだ私もいけるかも」という気持ちが立ち上がってきます。

ハッピー・リターン

「まったく、やんなっちゃう」と言いながらエレベーターに乗り込んできた若い女性。隣の連れの男性に訴えかけるように、たった今、目の前で起こった食品売り場の店員の粗相をぼやいています。つり銭を二度間違えられたとか、お詫びの声が聞こえなかったとか。ところが、エレベーターのレールの上に立っているのに気がつかないのか、ドアがなかなか閉まらない。何度も何度もブザーが鳴って、ようやく足をのける有り様です。ただ、おかしかったのは、その女性が、肩から提げた布製バッグを、ふと、こちら向きに担ぎ直したとき、英語の文字がチラリと見えた瞬間でした。そこには、こんな英文がプリントされていました。

――Many happy returns of the day. 多くの幸のまたの恵みを。

そうです。ハッピーはcome(来る)でもbring(もたらす)でもなく、return(戻ってくる)ものです。「やんなっちゃう」とぼやくより、「まっ、いいか」と口をつぐむ。諦めるのでなく、今日はこういう日だということ。人を責めるより、自分の中で納得させることをどれだけ自分に言い聞かせてきたか、その日数の積算がハッピーとしてリターンするのでしょう。まして、受験ならばなおさらです。

SAPIX中学部情報誌「スクエア」186 号の親子インタビューにご登場いただいた女子高生、読むほどに試験を受けるごとに強くなっていった様子が分かります。今日はこういう結果の出る日、と自分に言い聞かせていかない限り、とても乗り越えられない入試の日々であったことでしょう。

聞けば、欅坂46の出演ドラマが大好きとのこと。メンバーが発するシリアスな歌詞と印象的な曲調は彼女の元気ソングとして脳内に鳴り響いていたようです。笑わぬアイドルたちは、皆、降りしきる雨に打たれながら踊り続けてでもいるような厳しい表情であり、何ものをもはね返すメッセージの強さも心を鼓舞していたことでしょう。

鈴の響き

ある小料理屋さんで修業中の若い板前さん、昼過ぎの店内清掃から1日が始まります。最初に手をつけるのが、前日の食べ残しの片づけ。そして、残飯物からアサリやハマグリの殻だけを取り分け、まとめて捨てるときに聞こえてくる音に仕事の始まりを感じるそうです。それは貝殻のぶつかり合うカシャカシャカシャという音。ガチャガチャでもドサドサでもなく、汚れた廃棄物のはずなのに一つの濁りも伴わない音、小さな金貨を積み重ねるときのような高価なイメージの、空の貝が奏でる澄んだ音。たくさんの鈴を振り鳴らすような貝殻の演奏を仕事の合図にするようになってからは、その時間を「鈴の時間」と呼んで楽しんでいるそうです。

数多くの唱歌の中で、とりわけ格調ある作詞とされる『冬の星座』。1番の歌詞で地上を一面の静寂に包んだ後、2番の歌詞では広大無辺の星空の彼方まで直行便の旅を描かせてくれます。そして、清浄な天地の果てから、だんだんと近づいてくるのは、カシャカシャカシャという貝殻の音? いや、楽しくはずみ合う鈴の音です。

その響き合う鈴の奏でるテーマソングは、ジングルベル。
そして、もたらす言葉は、
――Many happy returns of the day.

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