[受験歳時記] 第9回「十五夜」

ハイヒール

鋭角のフォルムが紡ぎ出す11センチの摩天楼――婦人靴売り場、ハイヒールのコーナーにそんな広告が貼られていました。ヒールの高さには5、7、9、11、13、15センチの6種類があるそうで、おそらくは踏み出す靴先が接地したときに立てる音は、ヒールの高さによって微妙に違うことでしょう。立ち上がる時の側面の膨らみ加減も、底面との幾何学的な比から割り出され、とにかく美しく見えることを最優先に計算され尽くしていることでしょう。黒々と磨かれたハイヒールがズラリと居並ぶ姿はあたかも、高級外車の展示会のようでもあり、近寄りがたい気品に輝いています。そして、見上げるショーウィンドウに5、7、9……とヒールの高さに奇数ばかりが並ぶのも、あえて偶数の親しみやすさを遠ざけて、奇数の持つ、分かち合うことを許さない唯一性と、その高貴なたたずまいを保つためには必要なことなのかもしれません。

バスの中

いつものバスの運転手はお休みなのか、今日はやや年配のドライバー。運転席に小さな花瓶が掛けてあり、挿された秋の草が一本、停止と発進のたびに律儀に揺れています。乗り込んだときから泣きじゃくっていた男の子が、ずっと後部座席でしゃくりあげています。何のはずみか、持っていた風船が割れたとかで、隣で母親がなだめていますが、泣きやむ様子がありません。乗客もまばらになった長い長い信号待ち。運転手が後部座席の母子をすぐそばに呼び寄せました。一瞬、男の子を運転席に座らせ、注意でも与えてくれるのか、と思いきや、白い手袋をはめた右手で、前方に向かって空中に大きな円を描いています。何事か、と思い、こちらも位置をずらしてのぞき込むと、正面の暮れかけた夕空に満月がかかっています。運転手のジェスチャーはおそらく「ほら、大きな、お月様だよ」とでも語っていたのでしょう。しかし、より腰をかがめてよく見える位置を定めると、揺れる秋草の茎の先が、ちょうど満月の丸みの下端に接していて、十五夜をけなげに真下から支えているかのようにも見えます。もしかしたら、運転手がわざわざこの母子を自分の席まで呼び寄せたのは、細い紐につないだまま割れてしまった風船の代わりに、細い茎の先端にゆるくつないだ満月の風船を見せてあげたかったからかもしれません。窓からのこの距離のこの位置に立てば、月と茎は一本の補助線でつながるので、ゴム風船などよりもはるかに古風で風流な、円と線が織りなす月見のための最上の特等席を、この坊やにプレゼントしたかったのかもしれません。

夜空の補助線

十五の日に十五の月を眺める――2016年9月15日。その夜は、実に46年ぶりの十五夜でした。うるう年のような地上での時間調整策など手が届かず、ただただ、大空の自然の運行に任せるだけです。この約半世紀、待ちに待っていた、月と地球のカレンダーの目盛りがドアの鍵と鍵穴が音を立ててかみ合うように、きれいに重なった瞬間に立ち合えたともいえるでしょう。太陽暦の時の刻みが月の満ち欠けとピタリと歩を合わせる機会が生じるには、両者のわずかな時間差が徐々に徐々に拡大していき、再び見事に一致する、「またとない」「まさかの一瞬」を創り出したわけです。物理的、数学的な微差が天体的な驚嘆を生み出して夜空のパノラマを見せてくれたのです。太陽を光源とする地球と月を結ぶ直線が、太陽と月を基点とする二つの暦法をつなぐ幾何学的な補助線として、天空に一本くっきり引かれているような気さえしてきます。

月の出の前には、太陽が西の空を茜色に染める一幕があり、赤とんぼの唄が聞こえてきそうです。その童謡の三番の歌詞によれば、姐(ねえ)やは、十五で嫁いだようです。十五という数には、全き成人、奇数としての完成形が負託されているのかもしれません。

十五夜の輝き、そのまどかな丸みの美しさを、試みに婦人靴の広告になぞらえてみれば、真ん丸フォルムから滴り下りる38万キロの光の雫(しずく)――とでも言えましょうか。

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