[受験歳時記] 第8回「唇の動き」

羊羹(ようかん)とスイカ

数年前の4月1日、この日の朝刊に、社会人初日の新入社員に向けて〈鋭い切り口と尖った角がほしい〉といった内容の新聞コラムが載ったことがありました。その例として挙げられていたのは、羊羹でした。そこでは、つやつやと黒光りする面を一刀両断のもとに切り分けたかのような、鋭い角を併せ持ったフレッシュマンであれ、と呼びかけていました。ところで、夏の羊羹と同様、芯の芯まで冷えきったスイカもまた、大きく割られた切り口にたっぷり薄紅色の果汁を染み込ませ、何とも涼味を誘います。

英語学習に関する説明会

唐突ながら、ここで一つクイズです。

1、2、3…… と声を出して300まで順に数えていきます。やがて100を過ぎ、200を過ぎ、さらに250も通り越し、ついに300に至って初めて起こる体の現象とは何でしょう。

今、SAPIX中学部の各校舎で行われている小5・6生対象の英語学習に関する説明会では、実に興味深い話が展開されています。その中身については、ぜひ、お誘い合わせのうえ、どちら様も新鮮な驚きをお持ち帰りください、というところなのですが、ごく一端を明かせば、「分けて書くと同じ文字だが、つなげると文字が変化する」ということになります。

昭和の末には「夏殷周、秦漢魏呉、蜀晋隋……の中国王朝」とか「手と手とで友という字になったのに、FRIENDにはなぜENDがあるの」といった、暗記を助けるしゃれた三十一文字の学生短歌もありました。しかし、ここでは、そうした語呂合わせ系統の暗記事項とは、実際の声と体を通しての体験的な理解という点で、かなり趣が異なります。

直後に続く文字によって直前の文字が変化する。この仕組みと成り立ちを知っておくことは、先々、紛らわしいスペルの単語に出くわしても、正確に書き分けられるという妙法を得ることになります。のみならず、語学でありながら音の連なりとは化学変化か、と思わせられるような一つの法則を知ることになります。また、みんなで一緒に発音してみることで、リトマス試験紙1枚1枚の色の変化に、教室中で湧き立ってでもいるかのような楽しさもあります。さらに、話の背後の奥の奥には、音声学的な深遠さも感じられ、まさに「目からうろこ」の連続です。

発音のしくみ

ところで、前述のクイズの答えですが……ゆっくり数えていってみると、人の上下の唇は、何と300に達するまで完全に閉じられるということが一度もありません。鼻音には、口から漏れる空気が舌で遮断される場合と、唇で遮断される場合とがありますが、300回もの機会がある中で、空気が唇で遮断されるのは、最後に「300」と発音する、そのときの一度限りです。

あるいは、こんなクイズも考えられそうです。天丼にあって、天ぷらに無いものは、丼に盛られた白いご飯です。では反対に、天ぷらにあって、天丼に無いものとは? そうです。こちらの答えも上下の唇の閉じ合わせです。天丼の発音では口は開いたままですが、天ぷらと言うためには、一度、口を閉じなければなりません。開けっ放しの口なら天丼を運べますが、閉じる恐れのある口では、天ぷらを食べ損ねないとも限りません。

曲がり角での人の動きを例にとってみましょう。今、目の前から、右に折れる曲がり角がだんだんと近づいてくるとします。歩行者は、数歩前から、右脚を軸にしてゆっくり左脚で半円を描く動作に入り、やがて、くるりと事もなげに右折します。ここで徐々に近づいてくる曲がり角とは、前述した例で言えば、直後に続く変化を与える文字と言えましょう。他方、ゆっくりと半円を描く左脚は、前に置かれて変化を受ける文字のような役目を担っています。そして、変化や動作の軸をなす右脚とは何なのか? 発音上、誠に理にかなった自然な唇の動き、その正体を明かしてみせてくれるのが、今回の英語学習に関する説明会の聞きどころの一つとなっています。

説明は、身近な生活の中での英語の働き、有効性、実用性を、分かりやすく取り上げるところから、説き起こされます。三日月は欠けているのではなく、隠れています。ならば、その見えにくく隠れた部分を、気づきやすい明るみに引っ張り出すために、あえて月の全形を浮かび上がらせるところにネライを置いています。

冷たい羊羹でも冷えたスイカでも、手に持ちながらならば、口にくわえた状態で299までは数えられるに違いありません。しかし、およそ5 分が経過してちょうど300に達した途端、唇は初めて上下から閉じられてしまうので、羊羹もスイカも歯の当たった部分から、食いちぎられてしまうことでしょう。

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