[受験歳時記] 第7回「風船」〜心細さからの救い方〜

ガラスの前で

洋装店のショーウィンドウ。その前にぺたりと座り込んだ小さな女の子。お母さんがショッピングしている間、きれいに磨かれたガラスの表面に覚えたての文字をいくつも書いて遊んでいます。そこへ店の中から、若い女性の店員さんが一人、磨いたばかりのガラスに指痕がつくのを注意するのかと思いきや、一緒に座り込んで何やらにこにこと話し込んでいます。お店のお姉さんは、女の子のひとりぼっちの退屈を、子ども心のさみしさを、遊び半分の楽しい会話に変えてくれているようです。いつかの朝刊で、お留守番をしている6歳の男の子の、こんな詩がありました。

「ガラスに じをかく れんしゅうをした。よる かえってきた おかあさんが でんきをつけると ガラスが いっぱい おしゃべりしていた」

子育てを煮物、それも大きな鍋とたっぷりのお湯を使った豪快な煮物にたとえてみれば、子どもの中でグツグツ煮え出す文字への興味には、大きなガラスと多少の落書きは大目に見てくれるような大人からの話しかけや寛容さが欠かせないのでしょう。

入試問題から

ある年の慶應女子高入試の作文テーマは「心細さ」でした。合格者にその答案内容を聞いてみたところ、中に「小さい頃、母の姿が見当たらず、泣き泣き母のネックレスをつけながら帰りを待っていたのを、今でも時々思い出す」という内容のものがありました。

確かに、探し人に行き当たるまで、相手にちなむ品々を身につけてみるのも、心細さの解消法かもしれません。小学校の国語の教科書に芥川龍之介の「トロッコ」という短編が載っていました。山をいくつも隔てた村から夕暮れ道を一目散に駆け戻ってくる少年には、首から下げるお母さんのネックレスもなく、どんどん暗くなる山道の心細さばかりが、読後長く、今もってくっきりと残っています。

意外な手立て

「兄妹」と題するエッセイ・コンクールの投稿欄に、三つの風船の話がありました。妹が一つ、兄が二つ、風船を持ち、手をつなぎながら歩いていました。突然、妹がつまずき、その拍子に風船が妹の手から離れ、空へ空へと上っていきます。泣きだした妹を見ての兄が取った行動は意外なものでした。手にしていた風船の一つを妹に渡しながら、残りの一つは空へ飛ばしてしまったのです。「これでさみしくないよね」と妹に言葉をかけながら、空に向けていた兄のまっすぐな指先を鮮明に覚えている、というような内容でした。

風船を分け合うならみんながそれぞれ一つずつということなのでしょうが、心を分かち合うとはみんなで一つの気持ちになることでしょう。そこで兄がとっさに考えたのが、まずは、妹を慰めること、そして空の風船に友だちをつくってあげること、つまりは、兄自身が風船を失うことだったのでしょう。

夕暮れ時の中空から高空へ、どんどん吸い込まれるように小さくなっていく風船は、何ともさびしそうに見えたことでしょう。妹が泣きだしたのは、風船を手放したそのことよりも、上空でたったひとりぼっちの風船の心細さが、妹にも通じたからに違いない。そう感じ取っての兄の機転は、妹を心細さから救い出しています。

どうやら、心細さから救い出すとは、のっぴきならない事態の渦中にあると思っている本人を、意想外の角度から我に返らせることなのかもしれません。大試合のマウンドの上、コートの中、ピッチの上にいたところ、ベンチのコーチがいきなり呼んだ。何事かと思って陣地に戻ったら「昨日のかつ丼屋はうまかったな。また行こうぜ」がアドバイスだったという日本人選手は大勢います。まったくもって、こんなときにそんな話かよ、です。ズッコけるほどの意外な話、驚くような手立てをもって、現実は何一つ変わっていないこと、周囲の世界はまったく平穏無事であり、昨日と今日とで何も変わっていないこと、お前一人が深刻になっていないかと、気づかせることなのかもしれません。

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