[受験歳時記] 第6回「シルキーボイス」〜声の音色〜

電車内にて

夜の電車内、つかまる吊り革の前の座席には2、3歳の小さな女の子が、その母親と一緒に座っていました。先ほどから車両の前の方で男性が2人、カバンを踏んだとか踏まないとかで、声を荒げています。成り行きを気にしつつも、関わりたくない乗客は皆、無言。静まり返った車内で険悪な雰囲気が頂点に達したとき、男たちのいさかいを制するかのような、高い声音のひと言が飛びました。

「こら! 何しているの!」
乗り合わせた皆が皆、固唾を呑んで声のした方向に目を向けます。何と、声の主はすぐ目の前の女の子でした! そして、よく見ると、膝に置いた絵本の中で縄跳びをしているウサギの絵を指差しながらお母さんに繰り返し尋ねています。「ねえ、ママ、このウサギさん、何してるの?」

「これはね、縄跳びと言ってね、幼稚園に上がったらお友だちと一緒にするお遊びよ」

そうです。母子以外の全員が「これ、何しているの?」を聞き違えたのでした。声だけは子どもっぽいものの、あまりに状況とタイミングがはまりすぎてのひと言は、第一波で正反対の思い込みを引き起こし、次に苦笑いの第二波をもたらし、そして、車両を、明るい照れ笑いの第三波に包んだのでした。女の子の明るく弾んだ声が凍りついた空気を真綿でくるみ、ほぐしてくれたように、言葉の以前に、音としての声には、声音には、聞く者たちの心を、ゆるやかに溶かし込む温熱効果があるようです。

大学生トークにて

代ゼミタワーで行われるSAPIXフォーラムでは、今年も中学部のOB・OGの皆さんが集い、たくさんのアドバイス・トークを展開してくれるはずです。昨年のある回で、保護者の方に向けてのひと言を述べてくれた女子大生がいました。マイクを前に堂々と話す人たちばかりの中で、この女子大生もしっかりした内容を丁寧に話してくれていましたが、ひと際、印象に残ったのは、その声でした。伝わりやすく胸を打つ、鈴を鳴らすような澄んだ声質の持ち主でした。声というよりも心地よい涼やかな音色のようでした。

2016年の本屋大賞受賞作『羊と鋼の森』(宮下奈都 著)の中に、音叉を鳴らすとぴーんと音がして、調律するピアノの基準音と共鳴し合う場面が出てきます。そのとき主人公は、「つながった」と直感するのですが、フォーラムの壇上からの彼女の声もまた、当日会場に詰めかけた皆さんのどなたにも「つながった」と直感させるような、つやつやした光沢を感じさせるシルキーボイスでした。大学生の言葉で語ってくれるその内容もさることながら、それを声に乗せてどう聞き手に伝えるか、「言葉を乗せる舟」としての声をどう静かに押し出せば、聞き手に対して沁み出てくるような音楽のように聞いてもらえるか、それらをすべて心得たかのような発声法に驚いたのでした。モーツアルトを聞いて育ったトマトが甘くおいしくなるように、どんなにか穏やかな言葉と静かな音に包まれた環境に育ったお嬢さんなのか、ちょっぴり聞いてみたくなるような気がしたものでした。

病の淵にて

大きな声では伝わらない。強い口調では届かない。相手の心に響かせるには、電車の中の小さな女の子のような声、直感的に「つながった」と思わせしめる女子大生のような声が欠かせないのかもしれません。風を知らせる鈴のような、水を知らせるせせらぎのような、清涼で湿潤な、声が持つ音色としての小さな衝撃とでも申しましょうか。

都立戸山高校では、医学部を目指す生徒をサポートするため、チームメディカルという取り組みが行われており、その講演会の締めくくりに、こんな話がありました。「あらゆる手を尽くしたかいもなく、横たわる病人を見送ることもあります。そんなとき、多くの患者さんたちは、消え入りそうな声を振り絞って、私に向かってこうおっしゃいます。『先生、ありがとうございました』と」。病魔に苦しみ、死の淵に立つ患者さんたちが、末期の際に発するか細い声の旋律は、おそらく言葉の意味以上に、命の厳粛さを伝える荘厳な音として、一生の締めくくり方を示す崇高な響きとして、医学の道を歩む者たちを励まし続けるということなのでしょう。

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