[受験歳時記] 第3回「花の色、水の色」~親子で手にする高校受験という果実~

折り返しの色

「長時間にわたるケータイ機器使用、雑談、仮眠、読書、学習、瞑想はご遠慮ください」――コンビニの売り場横のイートインコーナーの注意書き。毎朝9時までは照明が落とされていますが、それでも女子中学生が2人、早々と中に入りこんでパイプ椅子に腰を掛け、カウンターで何やら話し込んでいます。まるで、薄暗い中での密談のようにも見えますが、近づいてみると、試験前なのか、窓明かりを頼りに教科書やノートを広げていました。

すると、突然、女の子の一人が「あら、変わったわ!」と声を上げました。叫んだ方向に目をやると、アヤメが一輪、写真立ての中に収まっています。「先月は、ツツジだったのよ」

店の者の趣味心で、こうして季節の花の写真を飾っては、来店客の目を楽しませているらしいのです。なるほど、これぞ真正の紫色ともいうべき高貴さをたたえながら、写真立ての中でアヤメが光沢を放っています。そして、それに続く女の子の話には、思わず、聞き入りました。

「花の色は1年間を紫色で折り返すそうよ」。聞けば、桜、菜の花、ツツジ、藤、アヤメ、アジサイから冬の沈丁花やシクラメンまで、「白、黄、赤、紫、赤、黄、白」の順に、花は紫色を折り返し点にして、四季をそれぞれの色で受け継いでいると言うのです。

母から娘へ

確かに、1年の半ばの雨の季節、雨の滴に打たれる花々には、紫色が最もふさわしいように思えます。「へえ、誰から教わったの」と尋ねると、お母さんからだということでした。娘に季節ごとの花を色の順番で教えることで、頭には明快に、眼には鮮やかに浸透させてしまう母から娘への受け渡しが、家庭の中の自然教育が、家族ぐるみで学習する姿が、花々に祝福された家庭の灯りの向こうに垣間見えるような気がしました。

そして、気がつけば、ここまでの数十分間、壁の注意書きをすっかり忘れ、どっぷりと雑談と瞑想に入っていたのでした。

水琴窟

中学生から教わった言葉は、ほかにもあります。以前、慶應女子高の作文問題に「器の中の音楽」という課題があり、それを使った作文練習での生徒答案の中の一枚で見かけた言葉です。空のガラス瓶を逆さにして地中に埋め、瓶の底の地表と接する面に、うすく砂利を敷き、土をうっすらと載せておきます。ガラスの表面に、降り注ぐ雨や打ち水が当たると、瓶の中で水滴の反響し合う音が、鈴のような、鉦かねのような音となって外に鳴り出す仕掛けで、漢字で書くと「水琴窟」。病弱だった昔、庭先から聞こえてくるこの音を、床の中でよく聞いたことをまとめた作文でした。「聞こえてきたよ」と顔を向けると、視線の先にはいつも、母親の笑顔があったというようなことが書き込まれていました。

雪は音という音の一切を吸い込み、見渡す一面に耳鳴りを覚えるほどの静寂をもたらしますが、雨は立ちのぼる音をくっきりと澄んだ音にして響かせ、心を静めてくれるものなのでしょう。はかなげで透き通った音が耳元に届くたびに、メリーゴーランドの奏でるメロディにゆっくりゆっくり眠りに落ちていった遠い昔を思い出すというような、印象的な作文でした。

受験の果実

毎年、数多くの卒業生の保護者の方から体験記をお寄せいただき、それぞれのご家庭の中で繰り広げられたさまざまな場面、打開すべきいろいろな局面をご紹介いただいています。そして、あらためて思い返すことは、かつての保護者体験記の中で、あるお母様が書かれていた一言――せっかく高校受験をするのだから、受験のことだけを学ぶのではもったいない。――合格や進学とは別種の大きな、大きな果実。高校受験には、そう言わしめるものが確かにあるのでしょう。もちろん、花の色でつながっている母と娘にとっても、水の音で結ばれている母と娘にとっても。

気がつけば、2人の女の子の姿がありません。壁に貼られた注意書きを守って、長居を控えたのか、テスト勉強を、やりかけのまま持ち帰ったのでしょう。

しかし、頭が最も働くのは、考え中の頭です。そして、勉強の本当の楽しさは、解きかけの問題、考え中の設問が、頭のすみに引っ掛かっているときにこそ訪れます。解けないから楽しいのです。見え隠れする解法の糸口に、もう少しで手が届きそうなとき、きっと頭は相当に賢くなっているはずです。

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